2.全ての人間は知る事を欲する、3.人間だけが持つ卓越性
2,3-1.人間とは何か
ソクラテスもプラトンも、人間の生きる目的を説明する際に「魂」という言葉を使っています。そしてアリストテレスは自身の著作の中で、人間とは何なのかをこのように説明しています。
「人間はその魂の内に神的部分を宿した存在だ」
人間は社会を形成し、協力し合うことが出来る。それは獣にはない卓越性だ。協力し合う際に発揮する卓越性こそが、徳である。そういった徳を持つことができるのは、神的部分を魂に持つからだ。そのようにアリストテレスは論理を組み立てました。
人間とは何なのか。この問いはあらゆる時代の哲学者が取り組んだテーマでもあります。ドイツの哲学者であるマルティン・ハイデガーもそのうちの一人です。
ハイデガーは人間を、神と対比して考えました。人間は有限であるのに対して、神は無限です。無限と言うことは、どれだけ時が経とうと普遍の存在、つまり時間という概念に縛られない存在と言うことです。
人間は逆です。時間という概念に囚われており、遅かれ早かれ必ず「死」という結末を迎えます。このことから、ハイデガーは人間を、
「死に向かう存在」
だと主張し、更に以下のようなことを主張しました。
「人は死から目を背けているうちは、自己の存在に気を遣えない。 死というものを自覚できるかどうかが、自分の可能性を見つめて生きる生き方につながる。」
ハイデガーは、人間が動物とは違う卓越性を持つことよりも、「死」という事に徹底して注目しました。自分が死ぬという現実を受け止めて初めて、自分自身の卓越性に気付くことが出来る、そのように考えたのです。
2,3-2.人間という現実存在
ハイデガーの人間の定義には神も魂もありません。人間という存在に徹底して向き合った結果、人間に必ずあるのは「死ぬ」と言うことです。
この自分自身を見つめた上で、あらゆる物事について考えようとする哲学の立場を、人間という現実存在から観た哲学、実存主義哲学といいます。先述のキェルケゴール、ニーチェにより打ち出された哲学ですが、では具体的にどうすれば自分自身を見つめられるのかを、ハイデガーはさらに掘り下げて考えました。
先ほど紹介したドイツ観念論及び近代哲学は、ニーチェの哲学により破壊されてしまいました。ハイデガーの師であるエドムンド・フッサールはそこからどうすべきかを考え、「現象学」という新しい学問を打ち出しました。ハイデガーは、その現象学の考え方を哲学に適応した結果、先ほどの「死」に対する考え方に辿り着きました。
現象学の現象とは、先ほどプラトンの所で出てきたイデア界と対になる現象界の「現象」です。イデアではない、現実を正しく観察するためにはどうすべきかを考察する学問です。
この現象学の誕生を起点として、現代哲学が始まっていくことになります。
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