第二回 アリストテレス②幸福その2

2.「観念」を理解できる人間

2-1.形而上学の転換点

「形而上学」という言葉は、元々はアリストテレスの遺稿の中にあった、「自然学の前提になる根本的な考え方」の事を指して入った言葉ですが、そもそも形而上学の始祖はプラトンと見た方がしっくりきます。アリストテレスは「経験論」的な立場だったのに対し、プラトンは「観念論」的な立場だったからです。

アリストテレスが遺した講義ノートの中で、「自然学」に関連する記述の後に、「その自然学を探求する基礎・根本に当たる考え方」が記述されていたことから、『タ・メタ・タ・ピュシカ』:自然(ピュシカ)についての書物の後に書かれた書物と呼ばれ、それがラテン語で「メタピュシカ:metaphysica」と訳され、英語:metaphysics、日本語:形而上学、となりました。

アリストテレスはプラトンのイデア論を現実的に吟味し、「人間が善く生きる為にはどうすべきか」といった幸福論に対しても具体的な理論を打ち立て、形而上学を現実的に説明しようとしました。

 

しかし、この「形而上学」予想外の方向に向かうことになります。

 

アリストテレス達の時代の後、地中海世界では共和制ローマが頭角を現していきました。さらに後の時代、帝政となり更に版図を広げたローマにより、地中海世界は秩序立てられ、長期間にわたる平和な時代をもたらしました(パックス・ロマーナ)

そんなローマ帝国の版図となっていたエジプトに、プロティノスという哲学者が現れます。彼は若い頃兵役でローマの遠征軍に参加し、ローマとペルシアの戦いに身を投じました。結果としてその遠征軍は撤退するのですが、遠征中のペルシアの地でゾロアスター教(ペルシア哲学)や仏教(インド哲学)を学ぶ機会を得ました。

この時代、仏教上座部(南伝または小乗)仏教大衆部(北伝もしくは大乗)仏教に既に分かれていて、ペルシアにも北伝仏教が伝わっていました。さらに、この時代の大乗仏教はゾロアスター教とお互い影響し合いました。現在の東京都三田にある大本山 弘法寺では空海が唐から持ち帰った炎が1200年間ずっと燃やされ続けていますが、火をご神体として祭る仏派があるのは拝火教と呼ばれたゾロアスター教の影響ではないか、と言われています。

特に、仏教における「覚り」という発想は、プロティノスに大きな影響を与えました。また、この「覚り」はアリストテレスが言う所の、「観想的活動」の最終地点とも考えることができます。

 

2-2.東洋思想を取り込んだ形而上学

エジプトに帰還後、プロティノスは哲学に目覚めプラトン哲学を学びました。そして、インド哲学肉体は魂の単なる器に過ぎないという思想を参考にして、プラトン哲学イデア界と現象界ではイデア界の方が現象界より優位であるはずだとプロティノスも考えました。

そして、ブッダが長い修行の末に覚りを開き、この世の全ての因果を明らかにした事を踏まえ、以下のような主張をします。

プロティノス「哲学とは、万物の究極的根源である『一者(ト・ヘン)』に還っていく過程だ」

プロティノスにいわせれば、プラトンが主張するイデアなるもの『一者』から流出した物に過ぎず、その点では現象界にある万物と変わらないというのです。

この『一者』とは言わば絶対的な存在神と言い換えても良いでしょう。そして、人生における幸福とは、この『一者』に近づく事を意味する、とプロティノスは断言します。アリストテレスの具体的な幸福論から、一気に観念的な話になりました。宗教じみている、ともいえます。ただ、その宗教じみた話論理的に説明している点は見過ごせません。

ただ、先述の通りイデア界の方が現象界よりも上です。なので、現象界にある人間の肉体は、イデア界にある人間の魂よりも下位に当たります。

しかし、人間が持つ知性人間の魂を比較した場合、知性の方が上位である、とプロティノスは主張します。肉体に張り付いている魂は感覚から影響を受けている為、『一者』により近い知性と比べると現象界にある魂は純粋ではないからです。

 

2-3.神秘主義という到達点

それを排除して「魂を純化する」(魂を純粋な知性にしていく)ことこそが、ソクラテスの言う「魂の向け変え」であり、「善く生きる」事に該当する、というわけです。しかし、プロティノスはこう続けます。

「『一者』に至るためには哲学をするだけでは足りない」

哲学は『一者』に還っていく過程、と先ほど言いました。しかし、哲学をする事で『一者』にはある程度は近づけるが、そもそも『一者』は人間の理性で捉えられる次元のものではない。なので、さらに『一者』に近づくには、ブッダが覚りを開くまでの修行のような、それ以上のナニカが必要である。そう言った意味合いもこの「過程」という表現には籠もっています。

プロティノスは上記のことを論理的に明らかにしました。つまり、ソクラテス達の「善く生きるためには哲学すればよい」という主張限界を指摘した、とも見る事が出来ます。

パルメニデスは「真理に至るためには理性しかない」と主張し、プラトンはその主張を踏まえてイデア論を展開しました。しかし、プロティノスは「本当の真理に至る(『一者』に還る)為には理性だけでは足りない」というカウンターを放ちました。

そして、プロティノスのように人の理性以上のナニカにより『一者』のような絶対的な存在に近づこうという思想神秘主義と言います。この点から、古代における形而上学はプロティノスの神秘主義によって完成した、という見方が哲学史にはあります。そして、プロティノスから始まる哲学の流れを「新プラトン主義」といいます。

では、それ以上のナニカとは何なのでしょう。プロティノスはそれについては「言葉で言い表せるものではない」としつつも、『一者』に至った人について、このように説明します。

プロティノス「その人が『神を発見する』のではない。その人自身が『既に神である状態』なのだ」

この、『既に神である状態』を、プロティノスは生涯4度体験したといわれています。彼はその状態を脱我(エクスタシス=外に立つ)とか、「神と一体になる」と表現しました。仏教における覚りと見なしてよいでしょう。

 

2-4.そして、キリスト教神学へ

そして、この「それ以上のナニカ」を明らかにしようとする宗教が現れることになります。それがキリスト教です。

ユダヤ教の一分派のリーダーだったナザレのイエス国家反逆罪勝手にユダヤの王を名乗った罪)で処刑されたことに端を発し、この宗教は生まれました。初めは弾圧されるものの、ユダヤ教の選民思想を脱し、万民を救う「無限の愛(アガペー)」を掲げた結果信者数が増えていき、ついにはローマ帝国側が国教として取り込むまでになります。

このキリスト教が、更なる繁栄のためのより普遍的な教義を掲げるために、ギリシア哲学の流れを汲みかつ一神教とよく調和する、新プラトン主義が利用されたのです。キリスト教では肉体よりも魂が上位であると説かれますが、これは新プラトン主義の影響なのです。

これ以降、ギリシアの形而上学キリスト教の教義に吸収され、『一者』、すなわちキリスト教の神と一体となる為にはどうすれば良いのかを、キリスト教神学の中で研究されていくことになります。

中世哲学の始まりです。また、キリスト教会は「キリスト教が掲げる『アガペー』は誰に対してももたらされる」、すなわち「キリスト教は普遍である事を強調する為、自らを「カトリック(普遍)」と称することになります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました