第三回 アリストテレス③理想と現実(2)
🐂「どうモ~、こんにちは。それでは、前回の続きから始めて行きたいと思います」
2.イデアを読み取る力があるのは、人間だけ
前回、プラトンはこのような主張をしました。
「我々には認識できない一なる不変な『ある』ものが、様々な『○○な』ものに変化した。その『○○な』ものの影が、我々の世界にあるものだ」
この影という表現は教科書にも出てくる「洞窟の比喩」の話にでてきます。しかし、プラトンは別の作品でこのような表現もしています。
「たとえば人間は、『人間のイデア』を一人一人の人間が分かち持っている」
これはどういうことか?この表現はプラトンの後期の作品である『パルメニデス』に出てきます。ソクラテスとパルメニデスが討論をするという、ある種のドリームマッチのような話なのですが、その中でなんとソクラテスがパルメニデスに論破されるという超展開が繰り広げられます。
イデア論を打ち出したプラトン自身、その不十分な点を薄々自覚しており、想像の中で様々な思考実験を試みました。その葛藤がこの作品に現れている、と考えるといいでしょう。パルメニデスは、
「ソクラテスさん、イデアを分かち持っているというけど、たとえば『大きい』イデアを分配しているなら、『大きい』あらゆるものにそのイデアが分配されているってことですか?だったら、その『大きい』イデアって小さくなっちゃうんじゃ無いんですか?」
と、揚げ足取りのようにも聞こえるような批判をします。『大きい』イデアを例として持ち出してきて「小さいじゃん」と言っている辺り嫌らしいですね。これに対してソクラテスは「昼も夜もみんなで共有できるだろう、つまりイデアとはそういう性質なんだ」といった苦しい反論を繰り返すのですが、結局パルメニデスに言い負かされてしまいます。
しかし、この反論の中の一つに面白いものがあります。
「『分かち持つ』ってのは、『分け前を持つ』って意味じゃなくて、『参加する』って意味なんだよ」
ソクラテスさんどうしちゃったんですか?と思われるかも知れません。しかし、この一見メチャクチャに見える理屈も、重要な意味があります。
『分かち持つ』という言葉は古代ギリシア語で「メテコー」というのですが、これはラテン語で「participio」と翻訳され、英語の「participate」になっていきます。英語が出来る方ならピンとくるかもしれませんが、これは「~に参加する」という意味と、余り普段語として使われませんが「分け前を持つ」という意味も持っています。
現代の私達なら、「じゃあソクラテスはパルメニデスに『言葉の解釈が違う』って反論すればよかったじゃん」と、思われるかも知れません。しかし、当時の古代ギリシア語自体がまだまだ発展途上であり、一つの言葉に複数の意味があることが今以上に当たり前でした。つまり「その意味を使い分ける」事の重要性がよく分かっていなかったんです(そんな面倒な事をしなくても「分かる人は分かる」ので)。だからソクラテスが(私達から見て)それらしいことをいっても(当時の人々は)「他の苦しい反論と一緒じゃないか」と一蹴してしまいました。
では、「参加する」とはどういうことか。
イデア界に存在する『ある』もの(善のイデア)が姿を変え様々なイデアに変化しています。たとえば目の前に一人の男の人がいるとします。その人は当然「人間のイデア」を持っています。では、その男性が背が高かったらどうでしょう?その男性は、「大きい」イデアも持っている事になります。「男のイデア」も持っています。力が強いなら「力のイデア」も持っています。
人間だけでなく、この世界に存在する様々なものは、様々な「あり方」をしています。その「あり方」に対応するイデアを複数持っていることになり、逆を言えば、目の前にあるものからは複数のイデアを見て取れる事になります。
ここで、プラトンは重要なことを言います。
「人間にはそのもののイデアを一撃で読み取る力がある」
目の前のものからイデアを読み取る事はそのものの本質がわかると言うことだ、とプラトンは言います。人間のイデアがどういうものなのか分かれば、人間がどんな存在なのかわかる、という事ですね。そして、プラトンは「イデアを見抜く力があるのは人間だけだ」と主張したのです。
イデア論はプラトン以前にあった観念に関する理論の集大成、と以前説明しましたが、この「イデアを一撃で読み取る力が人間にはある」という発想はプラトンがオリジナルの考え方であり、イデア論の本質です。
プラトンはこのイデアを見抜く力の事を「ヌース:知性」と呼び、そのものがどんなイデアのグループに属しているかを分類する力がある、と主張します。「そのものが何らかのイデアを分かち持つ:そのものが何らかのイデアのグループに参加している」、これが先ほどソクラテスが主張していた「メテコー:分かち持つ」の意味です。
プラトンは、そのイデアのグループの特徴の事を「普遍」と呼び、複数の普遍によって構成されている目の前のものの事を「個物」と呼びました。「個物」から「一にして不変」な要素である「普遍」を見抜くことが、「そのもののイデアを発見すること」です。
🐂「如何でしたでしょうか?今回も一旦ここで切ります。この後ここまで説明した事に対する掘り下げを行いますので、もしよろしければ引き続きご覧下さい」
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