5.ラッセルによる論理学的な「悟性」の分析
バートランド・ラッセルはウィトケンシュタインの共同研究者であり、一時期は教師と先生の関係だったこともあります。IQ的な才能はウィトケンシュタインには及びませんでしたが、非常に社交的で政治的な発言や行動も目立ち、デモへの参加によりイギリス政府に投獄処分を4回受けたこともあるという、非常に活動的な人物です。ウィトケンシュタイン自身はかなり内向的な天才だったのですが、その彼から、言葉は他者や社会との関わりの中で変化する「言語ゲーム」という発想が出てきたのは、ラッセルの影響もあったのかも知れません。ラッセルは師として同僚としてウィトケンシュタインを見守りました。
ラッセルもまた「悟性」について言及しました。ウィトケンシュタイン同様言語論的な観点からもそうですが、ラッセルの本業である分析哲学的な観点からも「悟性」を掘り下げました。ラッセルは元々数学者であり、哲学に数学的な厳密さを組み込む事に大きな情熱を掲げたような人でした。彼の主著である『幸福論』は、既存の道徳哲学を分析哲学の観点から解析した結果を、我々一般人がわかりやすいように表現したものでもあります。
ラッセルの「悟性」の分析は「知識論」と照らし合わせた厳密なものでした。元々「悟性」という言葉はイギリス経験論の祖であるジョン・ロックが打ち出したものです。彼はデカルトの生得観念に注目し、人間は経験によって理性を完成させることをデカルトは見落としていると批判し、理性も知識も、経験を元に完成されると考えました。そして経験を理性や普遍的な知識に還元するような能力が人間には備わっていて、それを「悟性」と名付けたわけです。ロックのその考え方をカントは持論に取り込んだんですね。
しかし、ロックと方向性は似ているとは言え、それまでの哲学の積み上げと数学的な厳密さに基づいたラッセルの悟性の再定義はより細かいものでした。ラッセルの「悟性」に対するこの詳細な分析は、この後の時代の脳科学や心理学における「悟性」の分析において、大きなインスピレーションを与えることになります。ラッセルの知識論は、認知科学や神経科学における「心の哲学」や「認知心理学」の発展に寄与しました。知識の形成や理解に関する彼の論理学的分析は、脳がどのように情報を処理し、知識を作り出すのかを考える際の基礎的なフレームワークを提供しました。また、ラッセルの分析的な方法論が認知プロセスを理解するための方法論的枠組みとして採用され、特に情報処理モデルや知識表現の研究に影響を与えました。つまり、AIの成立には、ラッセルの「悟性」に関する分析が大きな影響を与えているとも見なせるわけです。
6.そして、現代的な「悟性」へ
「悟性」の評価は、ポスト構造主義やポストモダンの思想からも影響を受けました。それは、「悟性」の意味もまた権力構造や歴史的な文脈、そして近代批判の観点によって変化し、現在の私達がもつ悟性のニュアンスに至ることになります。それは、先ほどの脳科学や心理学の知見と照らし合わされながら強調されていくことになります。
ポスト構造主義哲学者のミシェル・フーコーは権力構造を研究していく過程で、知識は権力によって意味を上書きされるのと同様に、悟性もまた権力関係によって規定され、制約されることがあると主張しました。これは、脳科学や心理学の観点から見たとき、認知や知識形成が社会的な構造や規範によって影響を受けることを示しています。
同じくポスト構造主義者のジャック・デリダは、デコンストラクション(解築)という概念を打ち出し、言葉は時間と文脈により意味が変化することを強調しました。つまりハイデガー達が強調したカントの悟性に対する解釈への反駁と同じ事を言っているのですが、デリダは一人一人の悟性が異なっていく事実から「多様性」という概念に繋げて、その重要性を根拠づける要素の一つとして人の悟性を取り上げました。
ポストモダン思想をわかりやすく言えば、第二次大戦を経た現代世界の観点からの近代世界批判です。近代が物事を一元的に捉えすぎていたことに対して、物事を多元的に捉えようと試みます。そのために、「悟性」は脳の可逆性や認知プロセスが経験や環境によって形成されるという脳科学の知見から、多元的な捉え方の正統性を担保する要素として見なされました。
ポストモダン思想の中に、「ナラティブ(物語)」という概念があります。これは、戦前の世界が「大ナラティブ(大きな物語)」に人類が支配されていたと指摘し、一人一人の「ナラティブ」の重要性を強調します。「悟性」はそれぞれの人間にとっての「ナラティブ」を読み解く重要な要素であり、心理学ではナラティブの観点が自己認識やアイデンティティ形成のプロセスを説明する際の重要なフレームワークと見なされます。
さらに、「悟性」は脳科学や心理学の新しい研究とも照らし合わせられました。例えば、脳が社会的な経験や言語によって塑性的に変化することが示される一方で、心理学では認知バイアスや社会的な影響が個々の思考や理解にどのように作用するかが研究されています。これらの科学的アプローチが示すように、悟性は単純な理性的な活動ではなく、社会的・文化的な力によって形成される複雑なプロセスなのです。
如何でしたでしょうか?普段ネット上で聞くような言葉が「悟性」という言葉に結びつけられたのではないでしょうか?このように言葉の解釈を広げ、他の要素との繋がりを見出していった先に、新しい視点は生まれてきます。そのためにも、哲学はその有効な手段となり得ます。
では、ここまでお読みいただきまして、誠にありがとうございました。又の御拝読をおまちしております。
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