教科書などではこのように説明されます。これはどういうことか?そもそも梵我一如とはどんな思想かというと、
この世界は宇宙の真理である梵(大我、ブラフマン)と私達一人一人の自我である我(小我、アートマン)があり、ブラフマンとアートマンは別の存在ではなく同じものであった、というものです。
そして、梵我一如に至るためには、苦行に身を投じなければならない、と考えられていました。
そう考えられていた時代に、釈迦国の皇子であったゴーダマ・シッダールタもまた苦行に身を投じましたが、梵我一如に至りませんでした。心身共にボロボロになるまで苦行を行った釈迦はある日、苦行を断念すると宣言しました。周りの修行僧からは「アイツは堕落した!」と非難されましたが、ゴーダマは構うことなく一人で瞑想の修行に入りました。
その極限の集中状態の先に、ゴーダマはブッダ(覚者)となったのですが、覚りを開いたブッダが梵我一如の思想を振り返ったとき、一つの真理に至りました。それは、
そもそもアートマンは不変の存在ではない。アートマンは変化する。その変化の先にあるのが梵我一如と呼ばれる真理だ
というものでした。つまり、ゴーダマ(釈迦)は梵我一如を否定したのではなく、アートマンは不変だという解釈を否定し、自己変革の先にあるものが梵我一如だ、と考えたのです。
釈迦は様々な真理を覚ったのですが、その根底となる真理が「我は変化するのだ」という真理であり、これを諸法無我と呼びました。さらに世界も不変のものではない事(諸行無常)、我(個我)が存在すると思い込む事こそがあらゆる苦しみの根源である事(一切皆苦)、そして、これらの真理を全て覚った先にある真理を涅槃寂静と呼びました。
しかし、これらの真理が論理的にどのように繋がっているのか、釈迦は全てを語りませんでした。これが後年に議論を引き起こすことになります。
釈迦が没してから約700年後、釈迦の真理を論理的に説明する為に、様々な思想が生まれました。そのうちの一つが、ナーガールジュナ(龍樹、小釈迦)が起源とされる中観思想(または、「空」の思想)と言います。これは仏教における存在論とも言われており、「ものがあるとはどういうことなのか」に対する答えを出しています。
西洋哲学において、その最初の議論は存在論でした。タレスから西洋哲学が始まったことは有名ですが、タレスはものが存在するのは何らかの元があるからであり、それは水だと主張しました。そこから万物の根源は何なのか議論が繰り返されましたが、ヘラクレイトスという哲学者が一石を投じました。彼はこのような主張をしたのです。
「万物の根源はあるとともにあらぬ。例えるなら、火のようなものだ」
ヘラクレイトスは、万物の根源が水にしろ、別の何かであるにしろ、それではこの世界が移り変わって運動している事実を説明出来ないと考えました。なので、彼は万物の根源自体が運動しているからであり、その様子は火に例えられる、そのように考えたのです。そして、それらは火のように付いたり消えたりしている、そう考えました。
このヘラクレイトスの主張に異議を唱えたのが、パルメニデスです。彼はこのように主張します。
「あるものはあり、ないものはない」
パルメニデスは、この世のあらゆる存在には、それが存在する事の根拠となるような『ある』ものが存在すると考えました。ものがある、という当たり前のことに対して、それが存在するのは何らかの根拠があるはずだ、と彼は考えたのです。そして、ヘラクレイトス達の万物の根源の探求は、この『ある』ものの存在を無視した無意味な議論だと主張し、それまでの議論をひっくり返してしまったのです。
このパルメニデスの「あるものはある」の主張から、西洋の存在論は始まりました。これが後の時代にプラトンによってイデア論としてまとめられ、プロティノスを経てキリスト教神学に吸収され、この世界に存在するあらゆるものが存在する根拠である『ある』ものとは、キリスト教の神の事であり、この神を否定する事はこの世界のあらゆるものが存在する事を否定する事に等しい、という論理を展開しました。このようにして、西洋哲学は、キリスト教神学と一体となって発展していくことになります。
さて、話を東洋に戻りましょう。ナーガールジュナは釈迦の思想を論理的に説明する試みの中で、東洋思想における存在論である中観思想を展開しました。ものが存在する事の根拠を、西洋哲学の『ある』もの(キリスト教の神)に対し、彼は「空」だと主張しました。それは以下のようなものです。
ものが存在する根拠となる存在は、「空」である。すなわち、ものは存在しているとも言えるし、存在していないともいえる。つまり、ものが存在する絶対的な根拠となるようなものは存在しない
「空」の思想をわかりやすく説明するとこうなります。ものが存在する絶対的な存在はないので、この世界に存在すると思われているものは存在していると認識する事も出来るし、存在していないとも認識できる。我(個我)も絶対に存在する根拠もないし、一切存在しないとも断言できないのです。それを無理に存在すると思い込もうとすることで、あらゆる苦が生じる。
則ち覚りとは、ものが存在すると思い込む事、特に自我が存在すると思い込んでいることを自覚し、それをやめる事で、あらゆる苦から解放される。そのように覚りを論理的に説明しました。
このものは存在しているとも言えるし、いないともいえる、という「空」の思想は、ヘラクレイトスの「あるとともにあらぬ」にそっくりです。西洋哲学では「あるとともにあらぬ」を否定しましたが、仏教においては「あるとともにあらぬ」を受け入れた、と見なすことが出来ます。これが西洋哲学と東洋哲学の大きな違いです。
西洋哲学において、存在の根拠はキリスト教の神であると見なされる事でその後も発展しました。しかし、デカルトの「我、思う、故に我あり」という主張から、ものが存在する根拠は神の存在ではなく我々の意識による認識である、という大転換が起こりました。それにより、西洋哲学において自我は絶対的な存在と見なされ、そのデカルトの哲学を下地にして、ニュートンらにより自然哲学が発展し、近代の自然科学に繋がっていくことになります。
仏教哲学もナーガールジュナの中観思想から発展していきました。釈迦が語った諸法無我の真理は、釈迦自身が語った縁起の法によって以下のように説明されます。
我(自我)はそれだけで存在するのではなく、今までに起こった様々な要因が重なり、今の自我を成しているのである。さらに、その自我と同じように、この世界に存在するあらゆる具体的なものは、様々な原因(因)とその原因が生じる環境や条件(縁)が合わさることで偶々成り立っているだけである。
釈迦のこの教えを因縁仮和合といい、この世界に存在する具体的なものは、確かな存在の根拠をもつ「もの」ではなく、概念や自我といった観念的な存在と同じ「事」(現象)であると見なします。「もの」が確かな存在の根拠をもたない「空」である事は先ほど説明しました。
さらに、そこから中観思想は発展し、アサンガ(無著)ヴァスバンドゥ(世親)兄弟により打ち立てられた思想が、唯識思想です。中観思想により、自我の存在には根拠がないと主張されましたが、唯識思想においては、自我(意識)が存在する根拠は「識」であると考えます。
人間には生物学における五感にあたる、眼識(視覚)、耳識(聴覚)、鼻識(嗅覚)、舌識(味覚)、身識(触覚)と、それらの反応である意識によって世界及びそこに存在するあらゆるものを認識しています。唯識思想では、「識」もまた「空」である(つまり存在する根拠はない)のですが、「識」自体の機能は否定しません(「識」が存在するものと見なして議論を進めた)。
それ故、唯識思想の元で「識」はどんなものなのかの研究が進み、五識に意識を含めた六識の先に、末那識(無意識)、阿頼耶識(自我を離れた広い無意識)という発想に至りました。結果として、唯識思想は現代の心理学のような役割を果たしました。西洋哲学のような自我の絶対視を避けながら、仏教は発展する事が出来たのです。
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