雑多記事3.西田幾多郎➀純粋経験と純粋理性

 

西田幾多郎によって大成された西田哲学は、日本人によって始めて成立した体系を持つ哲学であると同時に、理解するのが極めて難しい哲学でもあります。そこで、この西田哲学を、なるべくブツ切りに、そして一つ一つわかりやすく解説する事で、西田哲学の全体像の説明をしたいと思います。

まず、西田哲学を一言で言うなら、「仏教の『無』の思想を西洋哲学で説明するとどうなるか?」、です。

『無』の思想とは大乗仏教の思想の中で、ナーガールジュナの中観思想(「空」の思想)から発展した唯識思想がインドから中華に渡り、そこで老荘思想の『無為』の考え方と影響し合い生まれた思想であり、『無』の思想を土台として出来上がった宗派禅宗と言いました。それが日本に伝わることになります。

唯識思想は人間の心の動きに注目するという特徴があり、この思想の元で現代で言う心理学のような研究が成されていました。そして、その研究を実践し『覚り』に至る為の修行が『禅』として生み出されたのです。

その人の心の動きを研究する過程で、人の心理の動きに関する様々な概念に名前が付けられました。これが明治時代に西洋哲学を日本語に翻訳する際に、他の宗派で作られた仏教用語共々大いに活用されました。

しかしながら、この『無』の思想の考え方からして非常に難解であり、ましてそれを西洋哲学で説明するとなると余計に難しくなります。

そこで今回は西田哲学の重点である「純粋経験」に注目します。そしてこの理解に役立ちそうな言葉が西洋哲学にあります。

それがカントの「純粋理性」です。

 

「我、思う、故に我あり」。中世哲学は、デカルトのこの主張から始まりました。

「あるものはある。則ちこの世界に存在するあらゆるものには、その存在の根拠となるような『ある』ものが存在する」から始まった西洋哲学は、「その『ある』ものこそがキリスト教の神のことだ」と見なされ、キリスト教神学の中で西洋哲学は発展しました。つまり、キリスト教の神を否定する事は、この世界に存在するあらゆるものの存在を否定することと等しいのです。

その西洋哲学の中でも神学を前提としながらも論理性を追求した哲学があり、それをスコラ哲学と言いました。この哲学の中で「哲学は神学の端女である」と言われ、神学あってこその哲学、という認識が論理的に正当化されていました。この正当性を、デカルトが結果として崩すこととなったのです。

「私が存在するのは、私の心(意識)がそのように認識するからであって、私の心の外に存在する神が存在し、私の存在を直接規定しているわけではない」

デカルトはものが存在する根拠として、「神」の前に「自我(及びその認識)」があると主張しました。ここから「では自我とは具体的にどんな存在なのか」という問いかけが哲学の主題となっていき、これを認識論と言います。近世哲学は、古代ギリシアから始まった存在についての問いかけである存在論からその存在を規定する自我への問いかけである認識論への転回から始まったのです。

なので、デカルトは神を否定したわけではなく、カトリックの教義である「信仰と理性は調和する」、つまり、「私達が動物にはない理性を持っているのは神が私達に理性を与えてくださったからだ」、を肯定し、それを論理的に証明しました。そしてデカルトは「だから人は生まれながらに理性を持っている」と主張し、これを生得観念と呼びました。

しかし、この生得観念を批判的に見た人物が現れます。イギリスのジョン・ロックです。ロックは人間には数学や自然法則と言った観念を理解する理性は持って生まれているが、それは未熟な理性であり、より高度な観念を理解し普遍的な知識を会得するためには、本人が経験を積まなければならない、そのように主張しました。これをロックは「白紙説(タブラ・ラサ)」と呼びました。

デカルトの生得観念説とロックの白紙説、それらを起点にして始まった哲学の流れを、それぞれ大陸合理論イギリス経験論と呼び、これらの対立が近世哲学の中心の議論でした。

イギリス経験論において、ロックは人間は未熟ながら理性を持って生まれてきていると考えていました。なぜならば、そのように考えなければ、自然界で人間だけが観念を理解し知識を会得できる事を説明出来ないからです。デカルトは経験の要素を見落としている、というのがロックの主張でした。

しかし、ロックの後に現れたデイヴィット・ヒュームは、生得観念を完全に否定しました。それでは、先述のロックの理屈をどのように考えるのかというと、ヒュームは予想外のことをいいました。

「数学も自然法則も、人の意識が作り出した思い込みに過ぎない」

まず、自然法則を成り立たせているのは実験結果から得られた因果関係です。しかしヒュームはこの結果はあくまでも蓋然的な結果でしかなく、100回試してそうだったから、101回目もそうだろうという予想の上で成り立っている空想を人間の意識が事実と見なしているだけだ、と考えました。

数学に関しても、人間の意識が都合の良いように生み出している思考の産物でしかなく、それを否定する根拠は何処にもないとしました。数学の有用性は認めつつも、それが神が作った世界の法則だなどという大言壮語は認めませんでした。そう、数学が正しいという根拠は人間の意識に基づいている以上、認識が作り出した事実でしかないのです。

数学も自然法則も人間が勝手に神が作った真理などと誤解した思い込みである以上、生得観念が存在する根拠はないと主張したのです。結局人間にとって正しい事というのは、人間の経験から導き出して決めるしかなく、そこに神の要素を求めること自体がおかしいとヒュームは考えたのです。「人間の意識は知覚の束に過ぎない」という「知覚の束」理論により、ヒュームは神の存在を疑いました。

このヒュームの哲学に影響を受けたのが、ドイツ観念論、ひいては近代哲学の始まりとなるエマヌエル・カントです。

 

カントはヒュームが完全否定した生得観念について再度吟味しました。その中でカントが注目した概念が「認識」だったのです。

ヒュームの理論だと人間の意識は一つ一つの知覚を経験から得た結果出来た知覚の束に過ぎない、ということです。では、もし犬が人間と同じ経験をすれば、人間と同じ意識が作れるのでしょうか?そんなわけはありません。なぜなら、犬と人間ではその感性自体が異なるので、同じ出来事から同じ経験が出来ないのです。

このことから、カントは人間には生まれ持っているものが何かしらあるはずだ、と考え、それが人間の認識形式だ、と結論づけたのです。すなわち、感性(人間固有のものの感じ方)、悟性(感性から得られた情報を解釈処理する人間固有の方向性)、そして理性(悟性から得られた情報から構築される人間固有の認識)です。その認識形式について論じた本が、『純粋理性批判』であり、カントは人間が生まれ持っている三段階の認識形式を「純粋理性」と呼んだのです。

人間には人間を規定するうまれもった純粋理性がある。カントのこの発想は、生物学の分野において追究され、「遺伝子」という具体的な概念に結びつきました。そしてヒトの遺伝子によって作り出された脳を含む身体により、人間の認識形式が成り立っているわけです。

 

そして、この「純粋理性」を意識した上で西田幾多郎が打ち出した概念が「純粋経験」なのです。

 

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