雑多記事4.仏教と実存主義➀釈迦が覚った真理

 

「自分は変えられる」。最も基本的なこの真理を釈迦が直観した時、仏教は始まったと言っても過言ではありません。釈迦は自らの覚りの中で様々な真理を見出し、それを弟子達に伝えましたが、それらはこの真理から派生したものなのです。

釈迦が生まれた時代、インドはバラモン教が信じられていました。バラモン教が唱える真理を「梵我一如」といい、この世界そのものの原理である梵(ブラフマン、大我)と私達一人一人の自我である我(アートマン、小我)が本来一つであり、その真理に至ったとき歓喜の世界に入る。そしてそのためには苦行を重ねる必要がある、と考えられていました。

しかし、釈迦はこの「梵我一如」に対するバラモン教の考え方が間違っている事に気付いたのです。アートマンは自分自身であり、それは絶対に存在する・・・そんな根拠は何処にもない。これが釈迦が覚りから得た、最初の直観でした。自我は自分である以上存在しているに決まっている、というのは、その者がそのように信じ込んでいるだけの事だ、というのです。

アートマンがアートマンであるままに苦行を積めばブラフマンと一体化するのではなく、自我(アートマン)が様々な要因が重なってたまたま今の状態になっているのでしかないのです。アートマンは自分自身(自己)の表面的なものでしかない事、もっというと単なる現象(〈事〉)に過ぎないという真理に釈迦は達したのです。

本当の自己は自我を作り出している存在であり、常に変化しています。その事に気付き、その自己変革の先にあるものこそが「梵我一如」である。それが釈迦の最初の覚りでした。

変化の中にある自己がそれまでの自我のあり方今目の前で起こっている現象に反応することで、その瞬間の自我意識が生じます。自我が変化しないという考えは、自己が今までの自我のあり方から今このときの自我のあり方を判断しようとするメカニズムによって生じる誤解なのです。

つまり、そのメカニズムに気付き、それまでしてきた反応はどういったものだったかを認識し、そのような反応をやめてしまえば、その瞬間に自我意識のあり方は変わります。そして、それを繰り返していくと、自己もそう反応するように変化していくのです。

 

「〈もの〉は存在せず、〈事〉だけが存在する」。それが釈迦が覚った第二の真理です。

釈迦は自己がどういう存在なのかを覚りましたが、その自己のあり方は、自分たち人間だけでなく、この世界のあらゆる存在も同じあり方をしていると直観したのです。私達の周りにあるものは、不変の存在ではなく、いつかはなくなります。しかし、私達はみな「ものがそこにある」と強く信じ込み、いつかなくなる事を意識しようとしません。

釈迦は、アートマンが存在する絶対的な根拠がないのと同様に、「もの」が存在する絶対的な根拠もまた存在しない事を直観したのです。そしてこの釈迦の直観は、西洋哲学及びキリスト教神学との決定的な違いを象徴しています。何故なら、西洋においては「もの」が存在する絶対的な根拠が「神」だからです。

西洋では神がこの世界も、この世界を支配する法則も、その全てを作り出しました。神はロゴス(理性)に先立つのです。そして、それ以外の神を「偶像」と呼び、真の神はキリスト教の神をおいて他にないと主張し、各地の土着信仰をキリスト教神学の下層に取り込んでいきました。

対して東洋では、始めに無があり、それがあるメカニズムにより世界が生まれ、その管理者として沢山の神が生じ、そこから様々な動物が生まれ人間が誕生しました。その神々の中に絶対者は存在せず、神々は自然(または「天」)の運行を感じ取り、その通りに世界を管理します。自然は神に先立つのです。仏教哲学は様々な神の両立を認める理論として機能したのです。

釈迦は、覚りにいたる瞑想の中で始めにあった「無」という概念をその身で知覚することで、この真理を見出しました。すなわち、存在するのは自律した絶対的な〈「もの」〉ではなく、そのものが存在しているという現象が存在するだけであり、その現象を〈「事」〉と呼んだのです。そしてその〈「事」〉という現象が生じる原因を「縁起」と呼びました。

先ほど話した無から生じた自然のメカニズムこそが、釈迦がいう「縁起」でもあり、中華における老荘思想においては、「道(タオ)」と呼ばれます。様々な違いはありますが、この「縁起」と「道」の概念は非常に似ており、この事から「老荘思想を始めに語った老子は、インドに向かい釈迦となって仏教を開いた」という伝説が中華において作られたほどです。

 

なぜ「あるものはある」と考えてはいけないのでしょうか?それは「『あるものはある』と思い込む事が『苦しみ』を生み出すから」です。これこそが釈迦が覚った第三の真理であり、釈迦が最も求めていた真理でもあります。

釈迦は覚りは「各人が修行の末に辿り着くもの」と考えていたため、自身の思想を詳細に語ったり書物に遺したわけではありませんでした。しかし、「縁起」に関しては既存のバラモン教の「因果」との大きな違いでもあった為、「縁起の説」として詳細に語ったのです。

その説明の内の一つが「十二縁起」と呼ばれるものです。これは、縁起の中でも特に苦しみの原因となる煩悩に関する縁起の説明です。

画像

参照:

https://images.app.goo.gl/QaoqdcncFbHtbJfn6

図のように、煩悩に関する縁起は、十二個の要素を辿って巡っていると釈迦は説明しました。そして、この煩悩が発生する縁起を止めたいのであれば、「無明」に注目しろと主張したのです。

「諦める」という言葉があります。これはネガティブな意味に捉えられがちですが、元々は「明らむ」という言葉が変化したものです。つまり、「原因を明らかにした結果として納得する」というニュアンスが「諦める」にはありました。対して「無明」は、明らかにすべき原因が分かっていない、という非常にネガティブなニュアンスがある言葉なのです。

十二個の要素の内「老死」が分かりづらいですが、「老死」とは、それまで発生してきた煩悩による悪い影響が消えずにその人の無意識の中に入り込んでいる事を指しています。そして、それが新たな「無明」として煩悩の出発点になるというのです。それだけではなく、その人生の内に「諦める」事が出来なければ、死んでもその悪い影響から逃れられないまま輪廻転生する、と釈迦は説きます。

「あるものはある」と思い込む事もまた「無明」の一つです。本来それは一時的に存在しているだけなのに、「永遠に存在し続ける」と思い込んでいる事により、それがなくなった事に対する苦しみが生じる、という論理です。この苦しみを執着といい、自分がある事に対する執着を我執、「あるものはある」事に囚われることを法執といいます。

仏教(特に大乗仏教)には存在論はなく、徹底した認識論です。西洋では「愛」という概念あるものとして重視しますが、仏教から見たら、「愛」は単なる現象に過ぎません。それもただの現象ではなく、最も抗いがたい、時として人を破滅に導くような、恐ろしい現象として捉えます。そして、愛を〈事〉として捉えることができた先にある「慈悲」を重視するのです。

そして「あるものはある」と思い込む事が苦しみを生み出す、という事を信じるかどうかが、仏教の宗教的な要素と言えます。

 

「自分は変えられる」、「〈もの〉は存在せず、〈事〉だけが存在する」、「『あるものはある』と思い込む事が『苦しみ』を生み出す」・・・、釈迦はこの三つの真理を、「諸法無我:自分を含めて、存在の絶対的な根拠は何処にもない「諸行無常:この世界に存在するもの及びこの世界そのものは変化の中にあり、不変の絶対的な存在はなくすべては現象に過ぎない「一切皆苦:苦しみが生まれる原因は『無明』からくる執着である、と語り、これらの真理を覚った先にある世界を「涅槃」と呼びました。そして、こう述べます。

「覚りの境地は歓喜ではなく、静寂である」

釈迦は、バラモン教が主張する「梵我一如に至れば歓喜の世界に入る」という真理を否定したのです。歓喜もまた一瞬の現象に過ぎず、その先に苦しみがあるかも知れず、また歓喜があるかも知れない。そして最後に至る世界こそが、静寂に包まれた涅槃の世界である。釈迦はこの最後の真理を「涅槃寂静」と呼びました。

さらに、釈迦は輪廻転生自体は否定しなかったのですが、輪廻するのはアートマンではなく、「執着」と「意識の流れ」と説明します。人が死ねばその二つが死体から抜け出し「無」から生じた別の存在に宿り、新たな生命となります。そのとき「執着」が引き継がれるため、そこから「意識の流れ」が生じ、新しい生命体の「意識」となるのです。

当時バラモン教ではアートマンはアートマンのまま転生すると考えられていました。もし僧侶に逆らったら神に逆らったことになり、次の人生は動物や虫に生まれ変わるかも知れない・・・そのように信じられていたため、誰もバラモン教の僧侶には逆らえませんでした。

しかし、釈迦に帰依した人は、「ここで反抗せずに我慢してしまえば、次の人生に煩悩を持ち越すことになります。だから、例えここで貴方たちに殺されることになっても、貴方たちには従えません」といい、バラモン教の圧力を突っぱねるようになったのです。

 

 

 

 

 

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